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夜明けの日記「再度言いたい。父ちゃんだって生きてるんだ。主夫だって生きてるんだ」

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夜明けの日記「再度言いたい。父ちゃんだって生きてるんだ。主夫だって生きてるんだ」 Posted on 2022/02/24 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ぼくは時々、爆発しそうになることがある。そういう話は、幾度と、ここで書いてきた。毎日毎日、どうしてこんなにやらないとならないことばかりなんだ。掃除機をかけ、窓を拭いて、棚やテーブルを拭いて、重労働である。洗濯は全自動洗濯機がやってくれるけど、パンツやシャツを畳んで仕舞うのが大変なのであーる。主婦仲間の皆さんにはわかっていただけるとは思うのだが、畳んだ服を棚に戻すのが本当に面倒くさい。料理を作るのはまぁ好きだけど、洗い終わった食器を食器棚に片づけるのが本当に苦手なのだ。そして、こんなに働いているのに家族から「ありがとう」と言われることはほぼほぼない。報われない人生なのだ、主夫というのは。 

夜明けの日記「再度言いたい。父ちゃんだって生きてるんだ。主夫だって生きてるんだ」

毎日毎日、ご飯を作るのだけど、それが当たり前みたいに思ってる家族に腹が立つ。「ごちそうさま」とは、言ってくれるけど、父親がご飯作るのが当たり前みたいになっていて、ちょっと違うだろ、と言いたくなる。美味しかったら「やっぱり、パパの料理はうまいね」と一言褒めてもいいんじゃないの? 父の日さえ忘れられてる。誕生日など、覚えてない。ぼくだって生きてるんだと言わせてほしい。ご飯作ったり、掃除したり、洗濯したり、買い物に行くのは仕方がないにしても、父ちゃんだって生きてるんだ、どうしたらいいんだ、と言いたい。その上、ぼくは仕事をしないとならない。ぼくはいったいどこで息抜きをすればいいんだ。その上、コロナだ。何がコロナだ、可愛い名前つけやがって、もっと憎々しい名前にしてほしかった。なにが「WITH コロナ」だ、ラブソングじゃないんだ、どこの馬鹿タレだ、こんなラブリーキャッチコピー考えたやつは、ともかく、ぼくはWITHコロナなんて認めたくない。コロナウイルスよ、早くこの地球から姿を消してくれ。ともかく、ぼくが言いたいのは週末なのに、なんで父ちゃんには休みがないのかってことなんだ。そうだ、ぼくだって、生きてるんだよ。世界中の主婦の皆さん、あなたたちは素晴らしい。ぼくが代わりに褒めます。毎日毎日、家族が脱ぎ散らかした服をかき集め、洗濯をし、掃除機を担いで部屋の隅々の埃をとって、買い物籠ぶら下げて買い物に出かけて、人知れず5時からセールに並んで、誰にも感謝されないのに料理をして、食べ終わった食器を黙々と片付けて、本当にあなたは偉い、主婦のかがみです。お疲れ様、と言いたい。自分にも言いたい。なんで家のことは主夫だけがしないとならないのか、不公平だと思う。世の中は不公平だ。不条理だ。ぷんぷん。

そんな父ちゃんの愉しみは、掃除のあとの一杯のコーヒーだったりする。なんか甘いものを買っといて、チョコとか、冷凍のケーキとかこっそり、掃除の後にキッチンで一人「お疲れ様会」をやる時に、血が流れるのがわかる。この世に、コーヒーが存在し無かったら、ぼくは爆発していたと思う。カフェに行くともっと癒される。ロックダウンの間はこれも出来なかった。ぼくはパン屋に立ち寄り、甘いものを一つ買う。密かな愉しみなのである。そして、夕食を作りながら、冷えたビールを飲むのも密かな愉しみである。ポテトチップスなんかを齧りながら、よく冷えたビールをぐいと飲む時の爽快感と言ったらない。そして、ランチの後の満腹感の中、片付け終わりでちょっとベッドにごろんとする時の至福、これは本当に最高の幸せなのである。ランチと仕事の合間の午睡はぼくを幸福にさせてくれる。僅か10分ほどの昼寝だけど、ベッドカヴァーに顔をこすりつけて、笑顔でぬくぬく、眠りに落ちるのが父ちゃんの一日で一番好きな時間なのだ。これらのささやかながら、労働の後の、本質の幸せが分かる人、お疲れ様です。ちゃんと神様は見ているからね、頑張りましょう。はい、私からは以上となります。つづく。

そして、そんな父ちゃんからのお知らせ。来たる、3月13日、オンライン文章教室を開催します。もう少し、文章と楽しく向き合えたらなァ、とお思いのみなさん。気楽に肩ひじ張らず文章が好きになる父ちゃんの文章教室にご参加ください。今回も「エッセイ」編です。パリの仕事場から、配信させてもらいます。三四郎も聴講生で隅っこにおります・・・ふふふ。詳しくは、下の地球カレッジのバナーをクリックください!

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